十和田信仰と観光の中心
今はすっかり観光地化されている休屋地区には、数百台は停められそうな広い駐車場があります。そこから鳥居前の商店街を抜けると、十和田神社の鳥居が見えます。鳥居のすぐ近くまでお土産屋がありますが、森へ一歩踏み入れると、急に空間が変化したような不思議な感覚を覚えます。左右に鎮座する阿吽の狛犬に迎えられ、時代を感じさせる石の灯篭と、大きな鳥居。ここから先は、俗世とは異なる聖域の中心であることを肌で感じます。
相当な樹齢を数えるのだろうと思われる巨大な杉の樹が立ち並び、その合間を縫って歩く。先程まで町の喧騒の中にいたからか、参道の静けさが際立ちます。風もなく、虫や鳥の声も聞こえない静寂。参道の途中、さらに時代を感じる両部鳥居をくぐると、手水舎とがあり、右手に少し新しそうな鳥居。その向こうには急な石段が見えます。登りきった先には荘厳な唐破風が見え、ついに十和田神社へたどり着いたことに高揚を覚えることでしょう。
現在の十和田神社拝殿は1941年の建立で、日本武尊が祀られています。しかし江戸時代以前は、この場所に十和田御堂という仏堂が建っており、十和田青龍大権現、いわゆる南祖坊が祀られていたといいます。建物としてはそれほど古いものではありませんが、入母屋千鳥破風造りに軒唐破風を組み合わせた大変豪華な造りで、日本の伝統的な社寺建築となっています。軒下には手の込んだ宮彫りが数多く施され、その荘厳さに拍車をかけているようです。その一方で、土台の石積みや灯籠など至るところが苔に覆われ、はるか昔からこの場所に存在するかのようにも感じさせます。また、深い森の中に突然現れたかのような不思議な光景が、より畏敬の念を抱かせるのでしょうか。
絶え間なくやってくる観光客と、お守りなど多数の授与品を取り扱っている授与所を横目に、拝殿の右側へ歩を進めると、小高く積まれた石垣の上に小さな祠が見えます。これが熊野神社。よく見ると賽銭箱の端に無造作に貼られた小さな紙に「熊野神社 夫婦和合 縁結び 子宝 安産 等々」と書かれています。これは、十和田湖に古くから伝わる、南祖坊と龍女にまつわる伝説から、縁結びなどのご利益が得られるということでしょう。祠の右横には、参詣者より奉納されたと思しき鉄製のワラジがいくつも掛けられています。南祖坊が熊野神社を訪れた際に夢の中で受けたお告げに由来するものでしょう。その熊野神社のさらに右脇には、法華経と刻まれた石碑も建てられ、南祖坊伝説がいかに人々に受け入れられていたのかが伝わってきます。そこから順路に沿って数十メートル歩くと、左手に木製の階段が見えます。これを登った岩山の上は神泉苑と呼ばれており、青龍大権現堂や、南祖坊の石像が祀られる南祖堂があります。そこからさらに中湖へ降りていった湖岸に占場(オサゴ場)があります。そこは、南祖坊入定の地とも伝えられています。南祖坊がここで湖に入り、十和田湖の主、十和田山青龍大権現となったと思うと、ぜひとも訪問してみたい思いにかられるのですが、今は神泉苑へ続く登山道が、落石等の危険があるため立入禁止になっており、近づくことは叶いません。
(参考)
・harunire0321「十和田湖の魅力 〜ブナ林に抱かれた巨大なカルデラ湖〜 ②湖畔編」https://note.com/harunire0321/n/n89b0fd45bf72
・・宝照山 普賢院 |青森県八戸市 真言宗豊山派 おてらブログ「南祖坊ゆかりの地〜十和田神社〜」https://fugenin643.com/blog/南祖坊ゆかりの地〜十和田神社〜/)